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2014年09月20日

地球温暖化の元凶は、道徳心だけでは解消できない(吉武大助)

いま、世界が抱える最大の危機は、地球温暖化である。

本来は、地球から大気圏の外に出ていくべき放射エネルギー。

それが大気中に吸収されて、気温が上昇してしまう現象を温暖化という。

では、なぜエネルギーを放出できないのかといえば、それは地球全体がすっぽりとラップに覆われたような状態になっているからだ。

そのラップの正体こそ温室効果ガスであり、二酸化炭素や一酸化炭素、メタン、代替フロンなどがそれにあたる。

19世紀の産業革命以来、人間は化石燃料を主とする膨大なエネルギーを消費してきた。

その結果、大気中の温室効果ガスの濃度も少しずつ、しかし確実に変化した。

二酸化炭素は近年、1年に約1%のペースで増え続けている。

吉武大助(人事相談員)  
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Posted by 吉武大助 at 03:13吉武大助

2014年09月16日

人に対する気配り(吉武大助)

あまりにおいしいので秀吉はお代わりした。

すると、茶坊主は最初のものよりやや熱めのものを持ってきた。

こんどははじめのものとは違って秀吉はそのお茶を四、五口ぐらいで飲んだ。

それでもまだのどが渇いていたので、秀吉は「ああ、うまい。すまんがもう一杯だけ頼む」と所望した。

「何杯でもどうぞ」といってこんどは熱めのお茶を大振りの茶碗に入れて持ってきていった。

「少し熱いかも知れませんが、ゆっくりお召しあがりください」と。

最初はのどが渇いているので、グッと一気に飲めるようにとの配慮から温めのものを、二回目はお茶のおいしさがよく味わえるようにとやや熱めのものを、三回目はゆっくりとくつろいで飲めるためにと熱めのものを大振りの茶碗に。

すべて茶坊主の配慮であった。

さらに秀吉のような特別な人だけに限らず、どんな人にも同じ心遣いをするということを秀吉は聞いて、その気配りにすっかり感心した。

この三成を寺から貰い受け、重臣に据え、豊臣五大老にまで出世していくまでになった。

人に対する気配りこそ、この石田三成のような配慮こそ、現代でもあって欲しいものである。

吉武大助(人事相談員)  
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Posted by 吉武大助 at 03:16吉武大助

2014年09月12日

みな平等にサービスする(吉武大助)

どんな人であれ、来店したら、みな平等のサービスをするようでなければならない。

そのためには、やるべき作法がしっかりと固まっていて、いつなんどき、どんな場所であろうと心温まる気配りができるようにしたいものである。

気配りについて語る場合、石田三成の若いころ、豊臣秀吉に取った「お茶の接遇」についての話は見逃せない。

秀吉がまだ信長の配下で長浜城主だったころに、鷹狩りに出かけたときのことである。

秀吉は野山を駆け巡り、あまりにのどが渇いたので、近くのお寺へ立ち寄り、お茶を所望した。

すると、奥から一人の茶坊主が、恭しく茶を運んできてくれた。

秀吉はヒリヒリするほどのどが渇いていたので「かたじけない」と受け取り、一気に飲み干した。

温めのお茶だったからだ。

吉武大助(人事相談員)  
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Posted by 吉武大助 at 00:55吉武大助

2014年09月08日

人間としてのまこころは気配りいかんで伝わるもの(吉武大助)

"絆を深める"ということはいかに相手に、気働きをし、気配りをするかに掛かっている。

相手方の家を訪問した場合、下にも置かぬもてなしを受けるようではいささか困るが、こまやかなことにまで細心の心配りをされたら、ほのぼのとした気持で過ごせる。

そしてその快い感情はいつまでも続く。

こうした気配りというものは、「特別の人だから」というのではいけない。

どんな人に対しても平等な心遣いでなければならない。

お店に入ったとき、「あなただけは特別だ」といって、格別なサービスをされ、それ以外の人については何のサービスもされなかったら、格別のサービスを受けた人でも嫌な気持になってくる。

吉武大助(人事相談員)  
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Posted by 吉武大助 at 01:57吉武大助

2014年09月04日

万民徳用(吉武大助)

「商人であるからには、少しでも優位に立とうとして他を出し抜いたり、人の足を引っ張るようなことをしてはならない。

そんなあくどい商売などしていたら、必ず悪い報いが返ってくる。

商いというものはあくまでも天道に乗っ取って正道をいくところからおのずとうまくいくものである」といった意味である。

松下幸之助もよく「商売を長続きさせ、一定の利益を確保するためには、いつもお客さんに喜ばれ、待ち望まれるようでなければならない」といって、さらにこう付け加えた。

「お客さんの食べ終わって帰っていくうしろ姿に、"ありがとうございました"と拝むような経営者は必ず成功する」と。

鈴木正三や松下幸之助のことばは商人のあり方を示したものではあるが、普通の人間関係を続けていく上でも肝心なことである。

吉武大助(人事相談員)
  
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Posted by 吉武大助 at 03:12吉武大助

2014年08月31日

外面的に行動する(吉武大助)

学び入れは、子ども自身が自ら自覚して内的にも外的にも顕現化しなければ、実現しえない。

子どもが親の言う通りにただ外面的に行動するのを、親は望んでいるのではない。

子どもの価値意識を受容しながらも、子どもが単に自分の価値意識によってのみ行為するのではなく、他者とのかかわりにおいて他者を意識し、他者を思い、自らのあり方を自覚し、そして自らの意志によって行為することを、親は望むのである。

親は、他者との行為的連関において子どもが自らの行為を自律的に判断できるようになるようにはたらきかけるのである。

そして、他者との行為的連関において、価値意識の相克が現れた場合、自らの価値意識を問い、自らのあり方を問い、人間としてのあり方をその行為的連関において見いだし、顕現化するようにはたらきかけるのである。

吉武大助(人事相談員)
  
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Posted by 吉武大助 at 00:03吉武大助

2014年08月27日

地域社会での子どもをめぐるかかわり(吉武大助)

同じことは地域社会での子どもをめぐるかかわりにおいても妥当する。

この両者の道徳的意識が現れる中で、親や大人が子どもに道徳的にかかわるということはどういうことなのであろうか。

親が子どもに道徳的にかかわるということは、自らのあり方としての道徳において、そしてそのあり方に付いて現れる道徳的意識において、これを善しとし、ここに子どもを学び入れようとすることである。

子どもが自ら自律的に判断しえない場合には、その学び入れは他律的なしつけになる。

しかし、主体的に自らの価値意識に基づいて行為しつつある子どもに対しては、その学び入れは子どもが自律的に妥当な判断をし、自ら自覚して自らの意志によって行為できるようになることへのはたらきかけである。

吉武大助(人事相談員)
  
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Posted by 吉武大助 at 02:08吉武大助

2014年08月23日

地域社会で具体的に生活する(吉武大助)

子どもは家庭で、そして地域社会で具体的に生活することによって、その中で現れる道徳そして道徳的価値や規範を学んでいく。

しかしこのことは、親や大人の道徳的意識だけを一方的に身につけるということだけではない。

親や大人の価値意識を身につけ社会化しながらも、同時に他方で、自分独自の価値意識を徐々に形成し自ら個性化していくのである。

したがって、子どもが家庭や地域社会で生活するということは、そこに子どものあり方が現れ、同時に道徳や価値意識も顕現化されているということができる。

子どもが主体的になりつつ、自覚的に生活しつつあるということは、自らの道徳的価値の意識に基づいて、たとえそれが漠然とした善いという感じであれ、あるいは悪いという感じであれ、またそれが共通の価値意識であれ、自分独自の価値意識であれ、そのような道徳的意識に基づいて行為しつつあるということである。

ということは、家族が共に具体的に生活することによってつくられていく家庭においては、家族のそれぞれの生活の仕方やあり方が現れ出ることになる。

そして、それぞれのあり方に付いて現れる道徳も価値意識も顕現されることになる。

吉武大助(人事相談員)  
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Posted by 吉武大助 at 02:05吉武大助

2014年08月19日

道徳性を育成する環境を自覚的につくりだす(吉武大助)

大人たちが子どもの道徳性を育成する環境を自覚的につくりだすということが再考すべき人間関係の質です。

しかし子どもをめぐる人間関係が希薄になったとしても、子どもが家庭で、そして地域社会で生活する限り、そこにはおのずと人とのかかわりはあくまで存在している。

人とのかかわりが現実としてある以上、そして人とのかかわりの中で他者を意識し、自己を意識し、そして自らの意志で行為し生活する以上、絶えず子どもの行為と生活は道徳的な意識と密接に結び付いているのである。

人とのかかわりの中でどのようにふるまったらよいのか、どのように行為したらよいのか。

まさに子どもは、そのかかわりの中で学びつつ、同時にそのかかわりを価値づけしながら解釈し、意味づけし、経験していくのである。

したがって、子どもの道徳性をめぐる問題は、人間関係の希薄さといういわば量的なものだけにではなく、むしろ人間関係そのもの、人と人とのかかわりそのものにみられるといえるのである。

吉武大助(人事相談員)
  
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Posted by 吉武大助 at 17:00吉武大助

2014年08月14日

部下の不平不満の活かし方(吉武大助)

部下の中には、会社や上司に対する不満の持ち主がいる。

そういう手合いは、赤提灯のぶら下がった飲み屋などで、不満を肴に憂さ晴らしをしているのである。

不平不満を持った部下は、それが高じると"不適応行動"を取りやすい。

これは、社員としてのまともな行動が取れなくなることだ。

例えば、上司に対して暴力を振るったり、口答えをする「攻撃傾向」。

遅刻をしたり、理由のない欠勤を重ねたり、ついには蒸発をしてしまうなどの「逃避傾向」。

自分の無能を棚にあげ、仕事の能率の上がらない理由を会社や上司のせいにして言い訳、弁解をする「合理化傾向」などがそれだ。

こういう部下がいると、周囲の者にまで影響し、職場の士気が低下してしまう。

したがって、こういう部下がいたら、積極的に話し合い、彼の本音を聞き出して、それを解決してやることだ。

そのための話し方、聞き方の技術には、次のようなものがある。

興味のある考え方を伝えたり、もっと話をさせる場合に使う。

またこれは、相手に幻滅を与えない話し方でもある。

吉武大助(人事相談員)
  
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Posted by 吉武大助 at 14:05吉武大助